映画ハーモニー 原作とは違う告白(ネタバレあり)

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Project Itoh3部作の2作目ハーモニーを観てきました!

 

いろいろと不満な点もありますが、映像化の難しい話をよくここまでビジュアル化できたなと思っているので個人的には満足しています。

 

ハーモニーですが、屍者の帝国とは異なり話の内容は大きく異なってはいません。

そのため、原作未読の方でもおおよそハーモニーの原作の内容を知れると思います。逆に屍者の帝国は映画と原作が全く異なるものとなっています。

それでも、映像化にあたり色々と変更されている部分はあるので原作未読の方は是非読んでください!

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ここからはネタバレも多く含みます。

 

キアンは基本的に空気で悲しかった・・・

私はハーモニーのトァン、ミァハ、キアンの三角関係が面白く、伊藤計劃もあとがきで

「三項対立にして初めて他者というものが出てくる」

と書いているようにキアンがこの作品において重要な要素だと思うのですが、映像化の尺の都合もあってかキアンは基本的に空気です・・・

もちろん、彼女のカプレーゼに倒れるシーンはあるのですが・・・

それ以外の回想場面でキアンはいつもトァンとミァハを後ろから眺めるだけでトァンとミァハは二人の世界に入っているというようなシーンが多くキアンが終始空気でした。

また、原作では自殺を試みる薬を途中まで飲んで自分が痩せていき弱っていくのがわかって怖くなり親にチクるという流れだったのですが、映画版では初めから飲まずに親にチクるという風になっておりちょっと腑に落ちないところがありました。

映画版では薬を飲むと体内の栄養素を壊すとミァハ言っていたので1日程度で自殺できてしまう効き目が早い薬という設定に変更したのかなとも考えています。

おそらくですが、トァンとミァハの関係に重きをおくために意図的にキアンは遠ざけたのかなと思います。

 

 

トァンからミァハへの最後の告白

恐らく、原作既読組が一番驚いたであろう最後の告白・・・

映画版のトァンからミァハへの告白は原作にはないので、ここで原作と映画版でのテーマの違いなのかなと思います。

原作は「人間の意識」とは何かとトァンが自問自答を繰り返していく中で、ミァハと再会しというハーモニーを行おうとする首謀者に復讐を遂げて、トァン自身はハーモニーの世界に行くという最終的にトァンは人間の意識というものがなくても良いと思った。

理由としては、トァンが意識というものが絶対に必要であると思うのならコーカサスの山で自殺をしていないとおかしいからです。しかし、トァンは一人で山を降りて行ってハーモニーの世界を受け入れた。

これが原作のハーモニーの私の解釈です。

 

しかし、映画版はトァンからミァハへの告白をして終わりになります。復讐をするという言葉もなく、最後にミァハを連れてコーカサスの山を見るという部分もありません。そして、ハーモニープログラムの起動と同時に綺麗な情景が映り、etmlの演出が入り映画は終わります。(個人的には情景ではなく人を見せて欲しかったですが・・・)

なのでここは原作とはまた別の解釈ができるのかなと思います。

結論から言うと、映画版のトァンは人間の意識こそが人間の必要条件であると結論付けた。だからミァハを殺した。トァンとミァハは原作以上に親密な関係であったことが演出上明らかです。

なので、トァンは例えエミュレートされたものであっても意識のあるミァハでいて欲しかった。だからトァンはミァハを殺して、代わりに自分が彼女の夢を叶える。

殺すということは同じですが、映画版の方がドロドロしたものを感じます。

 

個人的には原作の方が好きなのですが、映画は映画でまた別の可能性を示唆してくれていて面白いです。

多分、ラストの告白で全然違ったものになったと不満な方もいると思いますがこれはこれで面白いんじゃないかなと私は思ってます。

他にも色々な解釈が可能だと思います。

他の解釈を思いついた方は是非ツイッターなどで教えてください。

 

屍者の帝国の感想はこちら

「屍者の帝国」エンタメな映画(ネタバレあり)

 

ちなみにProject Itohの映画来場者特典のしおりの再生方法もブログで取り上げています

Project Itoh特典しおりの再生方法

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